最近は彼女に教えてもらってVtuberの配信を聞いている。
見ているわけではない。
1年くらい前からなんとかしてVtuber見れないかなぁと思って試していたが、どうも自分に合っていなく見れていなかった。
しかし、色々と諦めた先に答えはあった。
見なくていい、聞くんだ、と。
家で一人で作業している時、シーンとしていて何か寂しい時があった。
BGMを流すにはうるさいし、動画見ると集中できない。
ただこの問題には一つ答えを持っていて、「自然音を流す」ことだった。
それはそれで集中できて尚且つリラックスできてよかったが、なんともストイックすぎる。
普通の人間みたいな、テレビつけてダラダラとする感じがしたい。
そう思った時、Vtuberの雑談配信はうってつけだったのだ。
とりあえず適当に有名なVtuberの雑談配信をつけて、映像は見ずにラジオのように使ってみた。
これがなんとも良い空気感なのだ。
内容も雑談配信だし、私自身Vtuberに思い入れがあるわけじゃないので、非常に適当に扱える。
それでもって他人の当たり障りのない日常雑談を聞くのは、出社したり友達と遊んだりしている時に耳に入ってくる内容に近いものがある。
こうして、私はVtuberの配信を楽しめるようになった・・・
私の仕事では、他の多くの会社と同じように目標設定がある。
もうすぐ期限なのだが、一部達成していないものがある。
すると精神状態としては「焦り」になる。
やばいやばいできてないことある!!だ。
「焦り」になったことで、面白いことに気づいた。
思考の広がりが消え、単純ですぐ手に入る結果を求めるようになったのだ。
それまでは「どうやってやろうかなぁ、何をやろうかなぁ」と幅広く考えていた。
しかし「焦り」の状態に入ることで「さっさと満たせるものはなんだ!?」に変わった。
全く違う。
これは大きな気づきで、「焦り」の状態は知識を使う労働にとっては相当なデバフであることが判明した(他の仕事とか趣味で「焦り」が役に立つことあるのか?)
これに気づいてしまうと、本質的に焦る意味というのがわからなくなってしまう。
焦ったから何ができるというのだ、というやつだ。
結局のところ個人的な問題を根本的に考えると、目標は達成できなくてもいいだろうというところに落ち着く。
外部から見ていると壮大な言い訳にしか見えない…
まぁ今更外部の目を気にしたところでどうなるんだ、というのもあるのでもういいのだが。
なんか書き出すといちいち回答が達観しているような気がしていた。
悩み、本当に漠然としていたんだなぁ…