不安にかられて結果を求めていたときの話です。
若さゆえなのかわかりませんが、なかなかつらいものがありますね。
「面白さ」が見えなくなった
取り組んでいるものの「面白さ」が見えなくなりました。
ここで言う「結果を求める」は短期的に結果を求めることを指しています。
短期的に結果を求めていると、面白さを感じることが出来ませんでした。
私が結果を求めていたのはバグバウンティをやっていたころです。
バグバウンティは結果が出ないとなんにもならないので結果を求めていました。
ですが、簡単に結果が出るものではありませんでした。
結果が出ない日々が続いたため、ある時からバグバウンティを楽しむことが出来なくなっていました。
これに気付いたのはバグバウンティを休憩している時です。
行動方針を見直していると「そういえばバグバウンティの楽しさが謎だなぁ」と感じました。
言語化しようにも言葉が出てきません。
この時にバグバウンティには結果だけを求めているのだなとわかりました。
海外の記事では、バグバウンティに明確に失敗する方法として「結果にフォーカスする」ということがよく記載されています。
数ヶ月単位で取り組むものであり、重複があったりちゃんと開発されていたりということも当然あります。
日々の進捗を感じられないとメンタルにダメージを負い続けられなくなります。
この現象は一般的なのか、定期的に記事にされているのを見ます。
Bug bounty burnout and your mental health – thehackerish
Bug Bounties and Mental Health. In this post I want to discuss hunting… | by Nathan | Medium
バグバウンティは一例ですが、学生時代や日々の生活にもこういったことはありました。
つまり、バグバウンティだけがいけないというわけではなく考え方の問題でした。
結果以外に何を求める?
抽象的に言うと「進捗を感じる」ということが私には合っていました。
私には具体的に「結果だけでなくこれを求めろ!」というものは思いつきませんでした。
というのも、取り組んでいるものごとに変わってきそうだなと思うからです。
この考え方はプロゲーマーのウメハラさんを参考にしました。
「勝ち続ける意志力」などがとても参考になりました。
ウメハラさんの考えとしては、「勝つ」という結果よりも「成長している」という進捗にフォーカスするものでした。
そのため、長い間現役でいられるし、他の人とも違う個性が出てくるとのことです。
この考え方は私に大きな変化をもたらしました。
具体的には「バグバウンティでお金をもらう」から「脆弱となりうるコードを知る」を目的としました。
そうすると、「なぜ脆弱になってしまうのか?」「コードだけではなく、環境や人的要因もあるか?」と深く考えるようになりました。
これらは基礎に近いことでもあるので、すぐに結果が出るようなものではありませんが、私自身は楽しく取り組めるようになりました。
仕方ないところもある
ここまで正論みたいなきれいなストーリーを書いてきましたが、最初に結果を求めるのは仕方ないと思います。
昔に戻れたとしても、あの結果や実績が無くて不安に狂っていた自分自身に向かって「過程を楽しもう」なんて言えません。
まずは何でも良いから結果を出すか、何かの壁にぶち当たるしか無いんだろうなぁと感じています。
終わりに
見えなくなるものの話でした。
この問題は本当に大きな問題で、今でも気を抜くと結果に直結するような行動を取ってしまいます。
物事を振り返って分析する時間は必須となりました。
結果を追い求めてしまうには比較対象がいることが原因になっている気がします。
私自身、情報収集でTwitterを見るのですが、そこで結果を出している人々を見て焦りを覚えました。
結果を出さないと発言権がないんじゃないかとも思い至るようになりました。
Twitterを見る際は情報だけ見るようにして人の発言は見ないようにすることで解決出来ましたが、むりやり切り離さないといけないほどの問題でした。
記事にすると考えがまとまるので、今回も記事にしてみました。
これは痛い目見た人にしかわからないと思いますが、困っている方の参考にでもなれば幸いです。
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